本田実さんの足跡を辿って(15)若竹の園『子供達と共に』
本田さんが昭和42年から77歳で亡くなるまで、倉敷市若竹の園という保育園の園長だったこと鳥取ではほとんど知られていません。
旧八東尋常小学校卒で星の観測一筋の本田さん。
本田さんの人柄をよく知る倉敷天文台創設者の原澄治氏の御親族が運営の園。異例の大抜擢でした。
先日、若竹の園の卒園者の方に話を伺う機会がありました。園の記念誌には本田さん晩年の観測所の星尋山荘にて行われた観測会のこと、保育園の改修時には小さな簡易プラネタリウムスペースを作られていたことなどが載っていました。
当時の園児が大人になって、ふとしたきっかけで本田さんを思い出し、子供と共に夜空を見上げる。こうした繋がりが今も繰り返されているのかなと思いました。
いつもの望遠鏡横の本田さんとはまた違う、溢れる笑顔の本田さんが卒園アルバムにいらっしゃいました。(山脇 京)
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