アマチュア流星観測最前線⑦「理論・計算の指導者編」

 1970 年代後半は二地点から同時に流星を写真でとらえて対地軌道を計算したり、さらに太陽系内の日心軌道や彗星との関連、惑星の摂動計算をする機運が当時の大学生を中心に起こった。その陰には二人の指導者の存在があった。東の長沢、西の長谷川。奇しくも長い川を意味する姓をお持ちのお二方はともに苦学のすえ理学博士号を授与されて、長沢工先生は大学付属の研究所、長谷川一郎先生は大手商社の計算部門に勤務されながら若者たちの指導に尽力されていた。

 時代は計算手段に変革が押し寄せていたころ。関数電卓が急速に普及し、軌道計算がプログラム電卓を使えば楽に正確に計算できた。このころ大学や企業では自前で大型電子計算機(80 年代初頭はこう呼んだ)を導入したことも計算熱に拍車がかかったと思われる。

 そして運命の小型コンピュータの登場である。最初マイコンと称した国産の小型計算機(主に富士通 PC98 系とシャープ MZ 系)は短期間のうちにパソコンと呼ばれる段階に進化した。FORTRAN や BASIC にお世話になった人は多いと思う。OS もWindows などが席巻し只の計算だけではなくグラフィックまで表現出来始めた。

 筆者はマイコンが出現した頃、在京の大学生であったが、ある日長沢先生から「流星理論の勉強会をやっているけど来ませんか?」とお誘いを受け参加した。行くと部屋には見るからに明晰そうな大学生が十数人いて、持ち寄ったテーマを討論したり、英論文の輪読をしたり、さらに長沢先生のオリジナル理論講座ありで、カルチャーショックを喰らった。それもそのはず、中には現在 JAXA などで活躍して、あのはやぶさプロジェクトのメンバーになった人もいる。

 もうひとつ同じころの出来事を紹介する。関東地方のある町で流星観測者会議が企画されたが、ある事情で二日目の午前に大穴が空いた。担当者の困惑を察した先生は「堂平天文台の見学をしましょう」と提案され実現した。雑誌などで知るあの天文台を見られた感動を参加したアマチュアは貴重な一生の思い出に出来た。ここに長沢先生のお人柄が滲む。

 一方関西のある町で開催された流星観測者会議に参加した高校生の筆者は、彗星からの流星群予報をすらすらと解説される長谷川先生の勇姿に仰天した。田舎の高校生の驚きはいかばかりかご想像を。長谷川先生の文体はカタカナ標記でその時代でも奇異であったが、その内容はわかりやすい上に計算誤差を最小限に抑える工夫がされており、筆者自作の軌道計算プログラムは長谷川方式で今も使っている。わが国のアマチュアの理論武装や計算技術の向上、より専門性を極めるレベルに到達できたのは、一にこのお二人のお陰だと感謝してもし切れない。

 唯一心残りは計算結果の検証は大切であるという教えが最近薄れて来た感じがする。お二人の霊よ安らかにと願うや切。( 河越 彰彦 )

鳥取天文協会 Tottori Society of Astronomy

鳥取天文協会は鳥取近隣の天文愛好家で作るグループです 以下に引っ越しました https://toritenkyo.blogspot.com/

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